雨宮たけひこ

プロフィール

雨宮たけひこ
雨宮あめみやたけひこ
1947年11月15日生まれ
山梨県笛吹市一宮町出身。
「日本一おいしい桃の郷 一宮町」で兄が桃を生産しています。
1966年3月卒、山梨県立甲府工業高校機械科
1966年4月~1972年12月、旧日本住宅公団職員
1972年12月~1991年4月、日本共産党新宿地区委員会赤旗分局員党専従
1991年新宿区議会議員に初当選、現在7期目
山梨県人会新宿区副会長、京浜一宮会副会長。
家族ー長男、長女夫婦と孫3人
趣味
野球、卓球を楽しむ。ハイキング、高尾山の四季を歩く。
活動地域
四谷1〜4丁目、若葉1〜3丁目、南元町、四谷本塩町、四谷坂町、片町、四谷三栄町、荒木町、舟町、愛住町、信濃町、須賀町、左門町、大京町、内藤町、霞ヶ丘町

みなさんに支えられて7期28年、区議会議員としてがんばってきました。
自民党・公明党の政権は、庶民のくらしを壊し、憲法9条を変えて、「戦争する国づくり」を本格的に進めようとしています。絶対に許すわけにはいきません。
区民のみなさんの命とくらしを守る仕事を、私、雨宮たけひこにやらせてください。ひき続き区政で働かせてください。

お約束

みなさんのくらしの声を新宿区政に

●待機児童をゼロに。安心して子育てのできるまち新宿に
●学校給食の無償化
●区内に特養ホーム建設。高齢者が安心して住み続けられる新宿に
●国民健康保険料の値下げ
●耐震化をすすめ、災害に強いまちづくり
●新宿にコミュニティバスの運行
●四谷地域に公設・民営の銭湯を
●新宿通り、外苑東通りに自転車レーンを設置し、安心して歩道を歩けるように
●区民スポーツ施設の使用料・照明料の値下げ

実績

頼れる相談相手 雨宮たけひこ

「心細い思いをしているのだから すぐとんで行かないと…」
雨宮区議には、地域のみなさんから次々と相談が寄せられます。「心細い思いをしているのだから」と、すぐにとんでいきます。

住宅

立ち退きで、途方にくれていた…

夫婦と妹のアパート暮らし。大家さんがアパートを売ってしまい、突然立ち退きを言われ、途方にくれていました。弁護士を紹介してもらい、不動産屋とも交渉してくれ、最後は都営住宅を申し込んで当選。住まいを確保できました。
信濃町に住んでいた Hさん

生活保護

病気で退職。困って相談したら

演劇の企画や公演の仕事をして50年、無理が続いて糖尿病が悪化して退職。生活に困って相談したら、すぐに生活福祉課に一緒に行ってくれ、生活保護を受けることができました。治療もでき、生活もでき、感謝です。
若葉3丁目 Sさん

くらし

商売をやめ、困っていた時に

49年続けたクリーニング店をやめ、家の後始末、借金の返済…。夫婦月8万円の年金生活で住む家もなく困っていた時、アパート探しから、生活のことまで親身に相談にのってもらい、いまは落ち着いて暮らせています。
片町に住んでいた Sさん

融資

一緒に産業振興課に行ってくれた

外国の記録映画などを日本で上映・企画する新しい会社を立ち上げる相談したところ、すぐに産業振興課に一緒に行ってくれ、無事融資を受けることができました。映画について韓国の友人も紹介してもらい、順調に仕事が進んでいます。
若葉1丁目 Kさん

区政の横暴を許さない 雨宮たけひこ
区民の人権、自由を守るため、区議会で論陣 区を徹底追及

警察への高齢者の個人情報提供問題

「プライバシー、漏れちゃうでしょ!」

区は昨年、「特殊詐欺対策」と称して、65歳以上の高齢者約6万7千人分の個人情報を警察に提供することを提案。雨宮区議は区議会の委員会で、「プライバシーが漏れちゃうでしょ。警察が全力をあげることは、特殊詐欺をやる人を捕まえること。自動通話録音機を普及するのは区の仕事。やるべきことをやって下さい」と論陣を張りました。
区民の反対も広がり、個人情報提供に「不同意」とした人は50%を超えました。雨宮区議は、「ただちに中止を」と求めています。

公園のデモ使用規制問題

「ダメだよ! 勝手に決めるのは」

区は昨年6月、区議会にも諮らず、デモの集合場所に使える区立公園を4カ所から1カ所へ減らすことを決めました。直後の区議会の委員会で雨宮区議は、「表現の自由にかかわる問題。憲法に違反してるじゃないですか!」「だめだよ、自分たちだけで、そんなふうに勝手に決めるのは、とんでもない話ですよ。議会軽視じゃないですか」ときびしく追及。やるべきは、ヘイトスピーチ解消条例の制定です。
9897筆のデモ規制反対署名が寄せられ、区内の弁護士、学者102人が反対を表明しました。デモ規制撤回へひき続きがんばります。

まちのためにがんばる 雨宮たけひこ
みんなが安心してくらせる四谷・新宿へ、全力投球
住宅の専門家として大奮闘 耐震工事助成が大幅に拡充されました
雨宮区議は、住宅公団で現場監督・監理・設計の仕事をしていました。震災が続くなか、区議会で、住宅の耐震助成の実現と拡充にいっかんして力を尽くしてきました。

「個人資産だから自己責任」と言っていた区の姿勢を変えさせ、どんどん拡充

まず、「個人資産だから自己責任」と言っていた区の姿勢をねばり強い追及で変えさせ、06年に木造住宅、分譲マンションなどへの耐震補強工事助成が始まりました。 無接道などの住宅は対象外でしたが、東日本大震災後に「なんとかしてほしい」と相談を受け、12年度から実施に。16年度には、木造住宅の耐震助成の所得制限の撤廃と、若葉2・3丁目などの木造密集地域等の不燃化のための建物除却と建替えに最高300万円までの助成が実現しました。 17年の区議会では、助成額が低いために木造住宅の耐震工事がなかなか進んでいないことを指摘して、重点地区だけでなく、区内全域で工事費の4分の3、上限300万円まで助成することを提案し、18年度から始まりました。詳細耐震診断・補強設計費補助も、上限額15万円から30万円に拡充されました。

ブロック塀、擁壁等の安全対策が大きく前進!

18年夏の大阪地震で、ブロック塀の倒壊で小学生が亡くなる痛ましい事故が起きました。共産党区議団・雨宮区議は、ブロック塀やがけ・擁壁の安全対策への助成をくり返し要求してきました。ブロック塀等除去の助成上限額が20万円から40万円に、生垣等への助成も増額、フェンス等の新設助成が上限12万円、擁壁等の改修工事への助成の上限額も2倍へと、大きく前進しました。

区の制度を使って耐震工事をした木造住宅(若葉3丁目)

丸ノ内線四谷三丁目駅にエレベーター設置!

18年11月17日、ついに新宿方面3番出口にエレベーターができました。区議会でくり返し提案してきました。

丸ノ内線四谷三丁目駅

信濃町シニア館の入浴時間延長

若葉湯の廃業で、銭湯に行けなくなった地域のみなさんから「シニア館の入浴時間を延長してほしい」と要望が寄せられました。区議会で要望し、12時〜15時までが18時まで延長することができました。

信濃町シニア館

認可保育園などの増設

種別 開設 保育園名(所在地) 定員
認可園 2011年 新宿三つの木保育園もりさんかくしかく(大京町) 80
14年 ポピンズナーサリースクール四ッ谷(市谷本村町) 61
17年 グローバルキッズ若葉園(若葉1丁目) 42
18年 グローバルキッズ愛住町園(愛住町) 80
認証園 12年 ぽけっとランド信濃町(信濃町) 40

南元町公園グランドの防球ネット改修

四谷少年野球チームから、「グランドの整備改修と合わせて、防球ネットを高くしてほしい」と要望がありました。四谷地域の区議が一緒に区と交渉し、改修されました。

改修された防球ネット

区立スポーツセンター、コズミックセンター障害者のプール使用料が減額(半額)に

雨宮区議と日本共産党は、障害者と高齢者のプール使用料の減額・免除を、予算修正や条例提案でくり返し求めてきました。17年10月から、障害者の利用料が減額(半額)になりました。

四谷にコミュニティバスを実現へ全力!

坂が多い四谷地域では、コミュニティバスは長年の願いです。雨宮区議は、地域のみなさんと一緒に、区に実現を求めてきました。 周辺の港区、渋谷区、千代田区、文京区は、みんなコミュニティバスを運行しています。雨宮区議の知りあいの港区の70代の方は、「病院や買い物、図書館へ行く時も、コミュニティバスは、毎日のくらしに欠かせない私の大切な足です」と話しています。 日本共産党は、18年11月の区長選で強い要望が出されたことを受け、直後の区議会であらためて実現を求めましたが、吉住区長は「交通の利便性が低い地域でないこと」と「採算性」を理由に、拒否しています。 「新宿区には基金も469億円あり、財政力はありますから、区が補助金を出してコミュニティバスを走らせることは十分可能です」と話す雨宮区議。地域のみなさんと一緒に運動して、実現へ全力でがんばります。

雨宮たけひこ物語

山梨県の貧しい農家に生まれる

雨宮さんは、山梨県で桃を生産する農家の6人兄弟の末っ子として生まれました。小学校5年の時、父が交通事故で重傷を負い、働けなくなりました。11歳上の兄が農業を継ぎ、父親代わりとなって育ててくれました。

中学生の時、家族と。前の右が雨宮さん

高校1年の時、家が競売に
土木工事のアルバイトをしながら卒業

高校1年の時、母が借金の連帯保証人となっていたため、自宅が競売にかけられました。兄は、借金をして自宅を買い取りました。雨宮さんは「自分も働いて家計を支えなければ」と、高校の先生に「中退」を申し出ました。すると先生は、「高校を続けなさい。奨学金がもらえるように手続きするから」と雨宮さんを説得。日曜日と夏休み、冬休みなどは、土木工事などのアルバイトをしてがんばりました。

住宅公団に就職。「自分の家を建てるのが夢」

高校卒業後、日本住宅公団に就職し、団地建設の現場監督、団地の管理、設計などの仕事をしました。「自分の家を建てるのが将来の夢」でした。

住宅公団の建設現場で。真ん中が雨宮さん

「働く人、貧しい人たちが幸せになる社会をつくりたい」と日本共産党に入党

就職して入った寮は、6畳に3人の生活でした。雨宮さんは、同部屋の同じ18歳の青年が語る話に衝撃を受けました。「働く人、貧しい人たちが幸せになる社会をつくることができる」と言います。その青年は、日本共産党の党員でした。日本共産党がどんな弾圧にも屈せず侵略戦争に反対してたたかったことも知りました。
「自分の家はどうして貧乏なのか」というずっと感じてきた疑問の答えは社会と政治のしくみにあることに気づき、自分も「貧しい人たちが幸せになる社会をつくろう」と日本共産党に入党しました。以来、仕事とともに、労働組合の活動を一生懸命取り組みました。

渡辺保之さんの後継者として、区民の願いを区政に届けて7期28年

24歳の時、日本共産党新宿地区委員会の職員に。雨の日も風の日も日本共産党の新聞「赤旗」を配達する仕事から始めました。
1991年、渡辺保之さんの後継者として区議に初当選。週5日の駅頭宣伝を28年間欠かさず続け、朝のラジオ体操に参加するなど、町のみなさんのところへ気軽に出かけ、四谷のみなさんとともに歩んできました。現在、左門町町会副会長としてまちのみなさんと活動しています。

妻をがんで亡くした痛苦の思い

区議会で訴え続ける がん検診無料化

03年、区は無料だったがん検診を有料にしました。翌年の区議会で、雨宮区議が「経済的負担を気にすることなく受診できるよう、無料に戻すべき」と迫ると、当時の区長は、有料化によって「区民に『自分の健康は自分で守る』という意識を高めていただくことにもつながる」と言いました。
雨宮区議は、生活が苦しくて検診を受ける余裕がなく、病院に行った時は手遅れだったなどの区民の実情を示し、「早期発見・早期治療で命を助けることができる」と無料化を訴え続けました(写真)。妻を52歳でがんで亡くした痛苦の思いがあるからです。
区は無料化で受診率が上がることを認めようとしませんでしたが、国が09年度以降、乳がん、子宮がんなどの節目年齢無料検診を始めて受診率が上がり、効果を認めざるをえなくなっています。本格的な無料化実現へ、ひき続きがんばる決意です。

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